理論的飽和

理論的飽和とは、インタビューなどの定性調査でデータを集め続けても新しい論点や発見が出てこなくなり、これ以上続けても理解が深まらないと判断できる状態のことです。

理論的飽和を具体例で理解する

ある商品の解約理由を知りたくて、利用者へのインタビューを重ねているとする。

5 人目までは、毎回ちがう不満が出てきた。値段、操作のわかりにくさ、サポートの遅さ。ところが 8 人目あたりから、出てくる話が前の人と似てくる。9 人目も 10 人目も、すでに聞いた論点の繰り返しだった。

「もう新しい話は出てこなさそうだ」。そう感じられる状態になっている。

これが、理論的飽和という状態である。

理論的飽和はどんな状態を指すのか

飽和は、調査の手順ではなく、データがたどり着いた状態の名前だ。

新しい対象者から得たデータが、これまでになかった概念や論点を生み出している間は、まだ飽和していない。逆に、何人聞いても既出の内容ばかりになり、新規のデータが新しい発見を生まなくなった地点を、飽和とみなす。グラウンデッド・セオリー(質的データから理論を組み立てる手法)の中で、Glaser と Strauss が 1967 年に示した考え方が出発点になっている。

理論的飽和を、判断にどう使うか

定性調査では、人数をあらかじめ決め切らず、データを見ながら「いつ止めるか」を判断することがある。そのときの目安が、飽和という状態だ。

飽和は「終わってよい」を告げる信号として使われる。ただ、状態である以上、訪れたかどうかは集めながら確かめるしかない。だから飽和を当てにする設計は、人数を先に固定する設計より、スケジュールが読みにくい。スケジュールや予算を先に確定させたいなら人数を決め、未知のテーマで論点そのものを洗い出したいなら飽和を目安に続ける。判断の分かれ目は、問いをどこまで絞れているかにある。

経験則もある。Guest らの 2006 年の研究では、対象が均質で問いが絞られた条件下で、12 件ほどで主要な論点がほぼ出そろい、最初の 6 件で 8 割が現れたと報告された。ただしこれは特定の条件での数字だ。「定性は 12 人でいい」と数だけ持ち出すと、判断を誤ることがある。

どこで誤読・濫用されるか

飽和が状態であることは、いくつかの落とし穴を生む。

ひとつは、いつ訪れるかを事前に予測できないこと。だから「何人で飽和するか」を発注時に約束させても、その数字に確かな根拠はない。

ふたつめは、飽和が分析の枠組みに依存すること。どんな観点でデータを切るかが変われば、「もう新しい話はない」の中身も変わる。浅く読めば早く飽和したように見えるし、深く読めば同じデータからまだ論点が出てくる。

そして最も注意したいのが、打ち切りの口実にされやすいことだ。対象を狭く採れば、似た話ばかりになって早く飽和して見える。けれどそれは理解が深まったのではなく、最初から多様性を削っていただけかもしれない。定性調査の飽和は、サンプルの幅とセットでしか意味を持たない。式で人数が決まる定量調査とは、確かめ方がそもそも違う。

理論的飽和は、止め時ではなく問いの広さを映す

飽和という言葉は、つい「終わってよいサイン」として読まれる。予算もスケジュールも、早く飽和してくれたほうが助かる。

けれど飽和という状態が映しているのは、調査の進み具合ではなく、最初に置いた問いの広さと、選んだ対象の幅である。

だから報告で「飽和したので終えました」と聞いたら、確かめるのは人数ではない。どんな人を、どこまで幅を持って選んだのか。そこが抜ければ、飽和という言葉は空っぽのままだ。

あなたの調査に訪れた飽和は、理解が深まったしるしだろうか。それとも、最初から似た声ばかりを集めていただけだろうか。

このページの著者 こんぺい

大手事業会社で商品企画に携わり、スタートアップではプロダクトマネージャーとして会社を立ち上げ、調査会社では立ち上げからリサーチオペレーションを築いてきました。事業をつくる現場でいつも大事だと感じるのは、作り手と使い手の想いが重なる部分をどう大きくするか、そして、いいものを届け続けるお金のめぐりをどうつくるか。その重なりを広げる力が、リサーチにはある。そう信じて、このメディアをつくっています。