エスノグラフィ

エスノグラフィとは、対象者の生活の現場に入り込み、長めの時間をかけて行動や習慣を文脈ごと観察し、理解する調査手法です。

エスノグラフィを具体例で理解する

ある日用品メーカーが、新しい掃除用品の企画に行き詰まっていたとする。

アンケートをとっても、評価は悪くない。「使いにくい」と答える人はほとんどおらず、不満の自由記述もこれといって挙がってこない。数字の上では、特に困っている人はいないように見えた。

そこで担当者は、ある家庭に半日ほどお邪魔して、いつもの掃除の様子をそばで見せてもらうことにした。すると、その人は洗剤のボトルを一度ベランダに置き、両手を空けてから雑巾を絞っていた。本人に聞くと「昔からこうしてる」と言うだけで、不便だとは思っていない。

けれど、その無意識のひと手間こそ、アンケートには出てこない設計のヒントだった。

これがエスノグラフィである。

エスノグラフィの仕組み

エスノグラフィの中心にあるのは、参与観察と呼ばれる方法だ。調査者が対象者の生活や仕事の現場に実際に入り込み、その場に身を置きながら観察する。

短時間で済ませず、ある程度まとまった時間をかけるのが特徴である。語られた言葉だけでなく、その人が何気なく繰り返している行動、道具の置き方、周囲との関わりまでを、切り取らずに文脈ごと記録していく。

もともとは文化人類学が、異なる文化の暮らしを内側から理解するために育てた手法で、近年はマーケティングや 定性調査、UX の領域に応用されている。

エスノグラフィは何に効くのか

エスノグラフィが力を発揮するのは、たとえば次のような場面だ。

  • 数字では見えない、行動の「文脈」を知りたいとき
  • 本人も意識していない無意識の習慣をつかみたいとき
  • 「なぜそうするのか」を本人がうまく言葉にできないとき

ここがインタビューや短時間の行動観察との分かれ目になる。インタビューは「語れること」を聞く方法であり、本人が自覚していない習慣はこぼれ落ちやすい。エスノグラフィは、語りではなく暮らしそのものに時間をかけて没入することで、その人すら気づいていない実態に近づこうとする。

そのぶん、時間も費用もかかる。手早く全体の傾向をつかみたいなら 定量調査デスクリサーチ のほうが向いている。深さと引き換えにコストを払う、という選択なのだ。

エスノグラフィでわからないこと

エスノグラフィは、何でも見通せる魔法の手法ではない。

第一に、観察できる対象はどうしても少数になる。一人や数人の暮らしを深く見た結果を、そのまま「世の中はこうだ」と一般化することはできない。広がりを確かめたいなら、別の調査で裏を取る必要がある。

第二に、そこにあるのは観察者の解釈だということ。同じ場面を見ても、何に注目し、どう意味づけるかは調査者によって変わりうる。記録は事実そのものではなく、誰かのフィルターを通った事実である。

そして、人は見られていると少し振る舞いが変わることがある。観察者がいること自体が現場をわずかに歪めることも、頭の片隅に置いておきたい。

エスノグラフィは、聞くのをやめて見る勇気である

私たちはつい、知りたいことがあると「質問」してしまう。

けれど人は、自分の生活のすべてを言葉にできるわけではない。いちばん大事な習慣ほど、本人にとっては当たり前すぎて、語る対象にすらならない。

エスノグラフィが教えてくれるのは、聞くのを一度やめて、ただ同じ時間を過ごしてみる、という構えだと思う。そこで見えてくるのは、回答欄を埋める言葉ではない。

何を変えれば、その人の明日のひと手間が消えるのか。

その問いを、机の上ではなく現場で見つけるための方法である。

このページの著者 こんぺい

大手事業会社で商品企画に携わり、スタートアップではプロダクトマネージャーとして会社を立ち上げ、調査会社では立ち上げからリサーチオペレーションを築いてきました。事業をつくる現場でいつも大事だと感じるのは、作り手と使い手の想いが重なる部分をどう大きくするか、そして、いいものを届け続けるお金のめぐりをどうつくるか。その重なりを広げる力が、リサーチにはある。そう信じて、このメディアをつくっています。