中心化傾向

中心化傾向とは、評定尺度で両端の極端な選択肢を避け、「どちらともいえない」など真ん中に寄って答えてしまう回答者の傾向のことです。

中心化傾向を具体例で理解する

新サービスの満足度を 5 段階で聞いたとする。

「とても満足・やや満足・どちらともいえない・やや不満・とても不満」。

集計すると、回答の山が見事に「どちらともいえない」に立っていた。とても満足も、とても不満も、ほとんどいない。グラフは、なだらかな富士山のかたちになる。

これを見た人は、つい「みんな関心が薄いんだな」と読む。

でも、本当にそうだろうか。

人は、強く言い切るのをためらう。自信がない、波風を立てたくない、深く考えるのが面倒——いくつもの理由で、無難な真ん中へ静かに引き寄せられる。回答が中央に集まったのは、意見がないからとは限らない。言い切ることを避けた結果かもしれない。

この「真ん中へ寄る癖」が、中心化傾向である。

なぜ真ん中に寄るのか

中心化傾向は、回答者がいい加減だから起きるのではない。

ひとつは、慎重さや自信のなさ。断定する材料を持たない人ほど、安全な中央を選びやすい。もうひとつは省力化だ。Krosnick は、考え抜くより「ほどほどの答え」で済ませる動きを、心理学で満足化(satisficing)と呼んだ(1991 年)。きちんと答えれば負担が重い設問で、人は真ん中へ逃げることがある。

文化差も指摘されている。日本を含む東アジアの回答者は中央を選びやすく、北米の回答者ほど両端を選びやすい、という査読研究がある(Chen ほか, 1995)。ただしこの差を補正しても国の順位はほとんど動かなかったという報告もあり、文化のせいだと決めつけるのは早い。

中心化傾向は、両端を多用する極端反応スタイルのちょうど裏返しにあたる。同じリッカート尺度でも、人によって目盛りの使い方そのものが違う。これは回答バイアスの一種で、聞き方ではなく回答の「クセ」として現れる。

中心化傾向をどう判断に使うか

この傾向が厄介なのは、回答の分散を縮めてしまうことだ。

みんなが中央に寄ると、本当はあったはずの強弱の差が見えなくなる。平均も中央に張りつき、施策の前後で動きにくくなる。「差が出ない」のは、差がないからではなく、目盛りの端まで使われていないからかもしれない。

だから設計の段階で、中間の扱いを先に決めておく。中間を残す奇数尺度なら「どっちつかずの層」を一かたまりとして見られる。中間を消す偶数尺度なら、どちら寄りかを必ず選ばせ、立場を取らせられる。あわせて、態度としての「どちらともいえない」と、判断材料がない「わからない」は別の選択肢に分けておく。両方が真ん中に混ざると、後で見分けがつかなくなる。

分析では、平均だけで語らない。上位 2 つの選択肢を合算するトップ2ボックスのように、どこからを「肯定」と数えるかを決めて分布の端を見ると、中央に埋もれた温度差を拾いやすい。

中心化傾向の読み違えやすいところ

一番の誤読は、中央の多さをそのまま「意見なし」と決めつけることだ。

真ん中を選んだ人の中には、本当に中立な人もいれば、慎重さや面倒さから逃げ込んだ人もいる。集計表は、その違いを教えてくれない。同じように、分散が小さいことを「合意がとれている」と読むのも危うい。意見がそろっているのか、ただ言い切るのを避けただけなのか、数字の上では区別できない。

中央に集まった回答は、答えではない。

中央の高さより、その端を見る

調査票を作るとき、私たちは態度の強さを測っているつもりでいる。

でも、真ん中の選択肢は、態度と沈黙の両方を吸い込む。言いよどみも、無関心も、慎重さも、ぜんぶ同じ「どちらともいえない」に化けてしまう。

だから、集計表で中央の山がどれだけ高いかを眺めても、その正体までは教えてくれない。

次に目を向けたいのは、山の高さより、その端に残った「とても満足」「とても不満」の少数のほうだ。言い切りをためらった気配は真ん中に溜まるが、態度の強さは端を見て初めて立ち上がる。数字の真ん中に安心する前に、そこで誰が何を言いよどんだのかを想像するところから始めたいと思う。

このページの著者 こんぺい

大手事業会社で商品企画に携わり、スタートアップではプロダクトマネージャーとして会社を立ち上げ、調査会社では立ち上げからリサーチオペレーションを築いてきました。事業をつくる現場でいつも大事だと感じるのは、作り手と使い手の想いが重なる部分をどう大きくするか、そして、いいものを届け続けるお金のめぐりをどうつくるか。その重なりを広げる力が、リサーチにはある。そう信じて、このメディアをつくっています。