因果
因果とは、一方の出来事がもう一方を引き起こす関係、つまり「原因があったから、結果が起きた」と言える関係のことです。
因果を具体例で理解する
ある広告を見た人ほど、その商品をよく買っている。アンケートでそういう結果が出たとする。
会議では、こう言いたくなる。
「この広告が、購入を増やした」
でも、本当にそうだろうか。
もともと商品に関心のある人ほど、広告にも目を留めやすい。だとすれば、広告が買わせたのではなく、買いそうな人が広告を覚えていただけかもしれない。
広告接触と購入が一緒に動いていること(相関)は、データから言える。けれど、広告が購入を引き起こしたこと(因果)は、それだけでは言えない。
この差を埋められるかどうかが、因果という言葉の正体である。
因果の最小限の仕組み
因果を確かめるとき、考えの軸になるのが「もし原因がなかったら」という問いだ。これを反実仮想と呼ぶ。
同じ人について、広告を見た世界と、見なかった世界。その購入結果を比べられれば、効果がわかる。だが現実には、片方の世界しか観測できない。
そこで強いのが、無作為化比較である。対象者をくじ引きのようにランダムに 2 つに分け、片方にだけ広告を当てる。ランダムに分ければ、年齢も関心も購買力も、平均すれば両グループでそろう。差が出たら、それは広告のせいだと言いやすくなる。
因果を報告でどう扱うか
ここで詰まりやすい。普通のアンケートのように起きたことをそのまま集めた観察データからは、因果は基本的に言えない。第 3 の要因が原因と結果の両方を動かす交絡があるからだ。さきほどの「商品への関心」が、広告接触と購入の両方を押し上げていた、というのがそれにあたる。
では、施策効果は一生主張できないのか。そうではない。関連は述べ、因果は留保するという言い方ができる。報告では、たとえばこう書けばいい。
「広告に接触した人ほど購入率が高い、という関連は見られた。ただし、もともと買いやすい人が広告も見ていた可能性があり、広告の効果と断定はできない」
見つけた事実は手放さず、言い過ぎだけを引き算する。これなら嘘にならず、何も言えない無力にも陥らない。
そのうえで本当に効果を知りたい局面では、A/B という現実解がある。対象をランダムに 2 群に分け、施策の有無だけを変える設計のことだ。大がかりな実験を自前で組まなくても、調査会社に相談できる範囲の話だと思う。
因果と言い切る前に
最も大切な限界は、ひとつに尽きる。
相関は、因果ではない。
一緒に動いているからといって、片方が片方を引き起こしているとは限らない。観察研究には、この交絡の影が常につきまとう。だからこそ、確かめたいなら無作為化した実験や、それに近い準実験のしくみがいる。わかりやすいストーリーほど、いったん疑ったほうがいい。
因果とは、疑ったうえで「何なら言えるか」を選ぶことである
データを見ていると、「この施策が効いた」と言いたくなる瞬間が必ず来る。数字が動いていて、説明もつく。報告もしやすい。
でも、その差は本当に施策が生んだものか。効きそうな相手に届けていただけではないか。一度立ち止まって、そう疑う。
そして、疑って終わりにしない。
見えた関連はちゃんと述べ、因果だけを留保する。そのうえで白黒つけたくなったら、次に探すのは新しいストーリーではなく、対象を分けて試す設計のほうだ。
言えることと言えないことの線は、そこで初めて自分の手で引ける。